パブロ・ピカソについて

名前

ピカソの洗礼名は聖人や縁者の名前を並べた長いもので、長い名前の例としてよく引き合いに出される。諸説あるが、講談社が1981年に出版した『ピカソ全集』によると、パブロ、ディエーゴ、ホセー、フランシスコ・デ・パウラ、ホアン・ネポムセーノ、マリーア・デ・ロス・レメディオス、クリスピーン、クリスピアーノ、デ・ラ・サンティシマ・トリニダード(Pablo, Diego, Jose, Francisco de Paula, Juan Nepomuceno, Maria de los Remedios, Crispin, Cripriano, de la Santisima Trinidad)[1]である。フルネームはこの後に、父方と母方の姓ルイス・イ・ピカソ(Ruiz y Picasso)が続く(スペインでは一般的に父方と母方の姓を順に併記する)。画家として活動を始めたピカソは、はじめパブロ・ルイス・ピカソと名乗り、ある時期から父方の姓のルイスを省き、パブロ・ピカソと名乗るようになった。ちなみにルイスはスペインではありふれた姓だが、ピカソは珍しいものである。

作風

ピカソは作風がめまぐるしく変化した画家として有名であり、それぞれの時期が「◯◯の時代」と呼ばれている。主なものを以下に挙げる。 * 青の時代(1901年-1904年) 親友カサヘマスの自殺[2]にショックを受け、プロシア青(青色無機顔料)をベースとする暗青色を基調として、軽業師、アルルカン、売春婦、乞食、芸術家などを描いた。 * バラ色の時代(1904年-1907年) フェルナンド・オリヴィエという恋人を得て、明るい色調でサーカスの芸人などを描いた。 * アフリカ彫刻の時代(1907年-1908年) アフリカ彫刻の影響を強く受けた絵を描いた。この時期にキュビスムの端緒となる『アビニヨンの娘たち』(または『アビニヨンの女たち』)が生まれた。 * セザンヌ的キュビズムの時代(1908年後半) セザンヌの描き方をアフリカ彫刻のキュビズムで描いた。 * 分析的キュビスムの時代(1909年-1912年) ブラックと二人で物体を分解する分析キュビスムを突きつめていった。 * 総合的キュビスムの時代(1912年-1918年) コラージュ技法を発明した。 * 新古典主義の時代(1918年-1925年) 古典的かつ量感のある母子像を描いた。 * シュルレアリスムの時代(1926年) キャンバスの中を怪物のような絵が動き回る。『ダンス』『磔刑』などの名画が描かれた。 * ゲルニカの時代(1937年) ゲルニカ爆撃に怒ったピカソが、『ゲルニカ』のための習作『泣く女』などを描いた時代。 * 戦後の時代 子供のような絵を子供のように自由に描き、まるで絵を描くことが、ピカソに命を与えるかのように晩年までを過ごした時代。91歳でも絵を描いていた。(自画像)


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